全数届出の見直し 自身で『陽性者登録』9月26日スタート
令和4年9月26日より、全国一律で、新型コロナウイルス感染症の療養の考え方を転換し、全数届出の見直しを行うこととされ、厚生労働省事務連絡が発出され、医療機関に対して埼玉県から通達がありました。
これにより9月26日以降にコロナ陽性となった方で、下記の該当者以外の人はご自身で陽性者登録をしなければならず、従来のように医療機関が保健所に発生届を提出し、その後の保健所からの連絡を待つという流れはなくなりました。
医療機関が発生届出を提出する対象者は、
・65歳以上の方
・入院が必要と医師が判断した方
・重症化リスクがあり、新型コロナウイルス感染症治療薬(ラブゲリオなど)の投与が必要であったり、
酸素投与が必要であると医師が判断した方
・妊娠している方
に限定されます。
ご自身で陽性者登録をすることで得られる支援については、
・体調悪化時の相談
・必要に応じた医療の提供
・パルスオキシメーターの貸し出し
・宿泊療養の申し込み
などです。
県から医療機関に送られてきた資材をもとにして作成し、当院で新型コロナウイルス感染症の検査を行い陽性となった方に対してお配りしている資料を以下に示します。
当院で新型コロナウイルス感染症と診断した90歳以上の方、1ヶ月の乳児、基礎疾患がある方でも、その後重症化せずに自宅で入院せずに経過をみることができた人はたくさんいます。
BA.5がこれまでのオミクロン株より重症化しやすいという証拠はなく、デルタ株に比べれば重症化するリスクは低いとみられています。
ただ高齢者や基礎疾患のある人は、BA.5はデルタ株と同様に重症化リスクは高いとみられています。
『Withコロナの新たな段階への移行に向けた全数届出に見直しについて』として厚生労働省から発出された今回の改定は、保健所や医療機関の負担を減らすことが目的であると思われます。
提出された発生届に対して、一人一人の陽性者に連絡しなければならない保健所の負担は確かに減ると思われます。
現場の医療機関の負担は軽減されるのでしょうか?
発生届を書いたり、パソコンでその情報を入力する労力は確かに軽減されました。
発熱外来での診療を行っていて、医療事務のスタッフに負担がかかり大変だなと思うのは、会計入力・診療報酬の算出までの労力です。
新型コロナウイルス感染症の診療後の会計は、公費であったり医療保険対応であったりする部分があり、とても複雑です。
そのため検査結果が出たあとも、長い時間患者さまをお待たせしてしまうことがあります。
先日、15歳の女の子が自宅で抗原検査のキットで検査を行い陽性となり、発熱外来に来られました。
今まではその抗原検査キットの結果を確認して、発生届を提出していました。
9月26日以降、ご自身で検査を行い陽性となった方は、自分で陽性者登録をしなければなりません。
しかし、この対象者は16歳以上、50歳未満とされています。
陽性者登録窓口に提出する書類は、コロナの診断をしたことが分かる診療明細書が必要なのだということでした。
医療機関で検査を行っておらず、ラブゲリオなどのコロナの治療薬を処方していない場合は、 コロナの診断をしたことが分かる診療明細書 というものがなく、結局診断書を発行したりしなければならず、患者さまにとっても医療機関にとっても面倒なことになりました。
最初に中国の武漢で発生した新型コロナウイルス感染症は、人工的に作られたウイルスであるという情報も錯綜しました。
そして今の日本でも、新型コロナウイルス感染症の後遺症に悩んでいる方はたくさんおられます。
このようなウイルスが体の中に入ってしまったのかどうか、このあとどうなってしまうのか。
新しい感染症に対する不安は尽きないと思われます。
それを自分で検査キットを用いて検査する、支援を受けたい人は自分で陽性者登録をしなければならない。
もうそんな怖くない病気にコロナはなったのでしょうか?
『 Withコロナ 』は考えていかなければならないことです。
日本の経済を回していくことも考えなければなりません。
3月31日に『新型コロナウイルス感染症の終わり方』という発熱外来ブログを書きました。
歴史学者によると、パンデミックの終わり方には次の2通りがあるとのことです(The New York Times Gina Kolata記者の記事より)。
・医学的な終息 罹患率と死亡率が大きく減少して終わる。
・社会的な終息 病気に対する恐怖心が薄れてきて終わる。
社会的な終息とは、病気が抑え込まれることにより終わるのではなく、人々がパニック状態に疲れて、
「もういい加減にうんざりだ。」、「もう普通の生活に戻ってもいいはずだ。」と言い出して、病気とともに生きるようになることにより、パンデミックが終わるということを意味します。
新型コロナについても医学的に終息する前に、人々がさまざまな制約に嫌気がさして、まだウイルスがくすぶっていても、ワクチンや効果的な治療法が開発されていなくても、もうパンデミックが終わったと判断して行動してしまう・・・・
ウイルス自身も生存していくために弱毒化していき、感染性・伝搬性が強くなり、うつりやすく拡がりやすくなっていく、国民の多数が感染することにより集団免疫が獲得される、現状でもそのようにして医学的な終息に向かっているのかもしれません。
人々が「絶対にうつりたくない。」ではなく「うつってもしかたがない。」という意識に変わったときに、社会的な終息を迎えつつあるのかもしれません。
世界に蔓延した新しい感染症により、社会経済が不健康な状況に追い込まれている、経済をまわしていかなければならないという議論の中で、いわゆる「終わり」は医学的なデータによって決まるのではなく、社会政治的なプロセスによって決まるのではないかと、多くの人が思っている(ハーバード大学の歴史学者 アラン・ブラント)。
人類がコロナの終息をむかえるために、コロナに対する免疫や治療法を獲得する速度よりも、コロナウイルスが感染しやすくなったり免疫を回避する能力を獲得したりして変異を繰り返していくスピードの方が圧倒的に速いと思っています。
陽性者の届け出を見直す、2類から5類への感染症の類型を見直す、さまざまな規制の緩和を行ったりする国のトップの方々や政治家には、変異を繰り返していくウイルスの前では、慎重であり、その自然科学の現象の前では謙虚であってほしいと思います。
新型コロナの社会的な終息は、そうした人たちの社会政治的な決定によって促されるものではないと思います。
多くの国民が コロナに対する恐怖心が薄れてきて終わる ものであり、私はまだまだコロナが怖いし、罹りたくないと思っています。